乙巳の変ってなに?大化改新と一緒にかんたん解説!
ではその聖徳太子がなくなったあと、政治はどのように動いていったのでしょうか?
聖徳太子の死後にあった重要なできごとに乙巳の変と大化改新があります。
小学校のころに習った大化改新が、高校の日本史で学ぶとゴチャゴチャになった…なんて人もいるのではないでしょうか?
「乙巳の変と大化改新はどういうできごと?」「どういう背景で起こったの?」について簡単に解説していきます。
乙巳の変
聖徳太子、
推古天皇のあとの天皇候補として、聖徳太子の息子・
それが
ちなみに
舒明天皇が亡くなったあと、次の天皇として
しかし他の皇位継承者・
しかし
そこで邪魔だった
そこで
このとき
この蘇我氏の本家が滅んだ事件を
大化改新
乙巳の変のあと、中大兄皇子のおじである
中大兄皇子は皇太子として政治をみるようになります。
新政府の
また608年に遣隋使として中国にわたっていた留学生
国博士とは唐の制度を取り入れるためにおかれた政治顧問のことです。
そして現在の奈良県にあった
遷都の次の年である646年、政治の方針として改新の詔を出しました。
詔の内容は次に書く4つです。
❶公地公民制
天皇家の私有地である
❷地方制度
地方制度を整えようというものです。
❸班田収授
戸籍に人民を登録して、それをもとに税金を割り当てるための計帳を作ろう、そして人民に土地を貸そうという方針をかかげました。
❹税制改革
新しい税制を作ろうというものです。
この新政府による一連の改革を大化改新といいます。
年表で確認!改新の詔が出されるまでの流れ
隋が滅んでから改新の詔が出されるまでの流れを年表にまとめてみました。
参考になると嬉しいです。
乙巳の変ってなに?大化改新と一緒にかんたん解説!まとめ
いかがだったでしょうか?
歴史は流れで覚えると頭に入りやすくなります。
繰り返し読んで親御さんや友達に語れるようになりましょう!